D's 2007年01月
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Davis Love

Author:Davis Love
筆者は茨城県在住大学三年生。
絶賛ぐだぐだ生活実施中。



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Vol.24 センター試験

センター試験から一週間が経ちました。
こんばんは、デービスです。


センター試験は、なぜ「センター」試験なのでしょうか?
私は今まで「センター=中央」試験だと思っていましたが、独立行政法人大学入試センターによって行われるから、センター試験なんだそうですよ。
ちなみに、センター試験の正式名称は「大学入学者選抜大学入試センター試験」です。
どうでもいいですねー


センター試験といえば、英語のリスニングの機器不具合が問題になりましたが、私が受験した試験場でも1人不具合が生じた方がいたそうです。不具合があった場合は、再試験を皆が帰った後にやります。何人も試験官が見ている前で1人で受験するのは、精神的に苦痛を伴うでしょうね・・・
ICプレーヤー自体は、基板がミツミ電機製、電池がソニー製と言われています。ただ、大学入試センターは正式に公表していませんので定かではないです。毎年使用したものをリユースするわけでもなく、新しく何十万個も作っていくわけで、メーカー側としては実にオイシイ話ですね。

ところで、ICプレーヤーの不具合は話題になりましたが、リスニングの内容はなかなか話題に上ってきません。
ところが受験生の中では、大いに話題になったことがありました。それは、男性の鼻息の荒さです 笑
リスニングの設問の会話の中には、主に男性と女性が登場して会話をするのですが、今回のリスニングでは私の聞く限り二人の男性が出てきます。そのうち1人は鼻息が荒い男性。
鼻息の荒さが最も顕著に現れたのは・・・確かQuestion No.14~16だな。


【Question No.14】(太字は男性の鼻息)

女性:Let's take a taxi to the theater. It's too far to walk to the bus stop.

男性:んふBut that would be kind of expensive.ふぅん~ How about taking the train?んふ~ふ
女性:Well, we'd have to change trains three times.
男性:んふOh, that's right. Let's go with your idea then.ん~ふ


【Question No.15】


男性:How're your Japanese lessons going, Tina?んふ~
女性:OK, Granpa, except for writing. I feel like giving up.
男性:フンハッYou should practice every day. Why don't you keep a diary in Japanese?んふ~
女性:But I don't like writing to myslf.
男性:んふはぁ How about writing letters to your classmates?ふ~んふんんふ
女性:That's a good idea. I'll do that.


【Question No.16】


男性:It's a beautiful day.んふ~ Let's go fishing.ん~ふ
女性:Sounds great, Dad. Oh, before we go to the river, can we take my tennis racket to the shop to get it repaired?
男性:んふはっBut it's closed because today's a holiday, remember?んはぁ~は
女性:Oh year, that's right. OK, let's go.




不覚にも、試験中ににやにやしてしまって、試験官に怪しまれたかも知れません。でも、全国の受験生のうち何人かは思わずにやけてしまったに違いないです。
 

【まとめ】
センター試験お疲れ様でした


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Vol.23 殺しの話

今日、日テレの「甦った闇の死置人~あなたの怨みを晴らす~」という番組を見た。


家族が犯人の私利私欲の為に強姦されたり、殺されたりしたあと、残された者が犯人を極刑に処せられないことを知らされ、途方にくれる。
「法律って一体何なんですか」「私たちに罪はないのに」

そこで「闇の死置人」が登場し、「あなたの怨み晴らします」と言ってお金をもらい、犯人をいたぶりながら殺す。「闇の世界に、法律はありませんから」



率直にまず結論を述べると、殺しが逆に正当化されているんじゃないのか、この番組。



家族が「闇の死置人」に殺しの依頼をするまでの話は、たしかに言葉を失い、愕然とするような内容だった。
犯人を極刑に処したいという家族の意向も、推し量るに堪えない。


だが、もし犯人を殺してみたとする。
その後、問題の解決はされただろうか?
殺された家族は戻ってこない。被害者や遺族が受けた心の傷はなくならない。


話の中では、人道にそむく行いをした犯人は、殺されて当然の存在であり、殺されることで一件落着というような考え方が、番組の根底にうずくまっていた。
タカアンドトシが死置人の設定だったときは、「欧米か」の漫才で、犯人の頭を叩きながら徐々に地中に埋めていくという殺し方を行っていた。


今までタカアンドトシを観て笑わせてもらってきたが、こればかりは笑えない。



考えてもみてほしい。自分の家族が殺された遺族が、自分の家族が殺されたように、犯人も殺してほしいと言う。
それは人間として当然沸き起こってくる感情であるし、本当は遺族にしかわからない感情である。しかし、それを止めるのが、第三者であり司法なのではないか?
殺しが正当化されるのは、日本国内では司法判断により「死刑」に処せられる以外にない。
殺しを殺しで応酬することが正当化されれば、日本の社会はどうなるだろうか。


番組にクレームを言っても、「表現の自由」と一蹴されるだろう。
テレビの世界では、殺しは視聴者にとって小気味よいスパイスとなり、ドラマや映画の中に緊張を与える。
サスペンスドラマやアクション映画を観て楽しんでいる私には、あまり説得力を持ちうる言葉ではないかもしれないが、これだけはいえる。


「殺しは決して正当化されるものじゃない。殺しには、人間としてまず避けて通れない道徳をもって接しなければ、正義の力に屈服して殺しを正当化してしまうだろう。」




いつも思う。物事を一つの見方で見てはいけない。
それは、何事に対しても疑いの目を光らせるということではなく、これはどういうことなのか、これの本質は何なのか、という思考を停止してはならないということである。



Vol.22 自問自答

私は何か考え事をするときは、いつもゆっくり風呂に浸かってする。ブログに書く内容を考えたりもする。


風呂はいい。その日のなかで嫌なことがあっても、なぜかすっきり出来る。誰にも邪魔されず、自分のことを考えることができる。素直に自分のことを振り返って反省することが出来る。



考え事の中で、私はいつも自問自答する。そこでは、ABが登場する二者対談形式が行われている。Aは基本的に私自身。Bは、Aとは異なる人物とする。しかし、私が脳内でBを登場させているから、結局BAも私自身、ということになるが。


なぜ二者なのか。自然にそうなった。三者形式だと頭の悪い私だから、きっとこんがらがって、どれが誰のせりふかわからなくなって、やめてしまうからだろうか。まあ、そんなところだろう。



忘れないうちに、風呂から上がるとすぐにそれを日記につけている。だが最近、何事も面倒くさがりになって、日記帳に書くことすら面倒になってきた。そこで、これからは一部(いや、大部分?)ブログに書かせていただくことにする。


勝手に脳内で考えたことなので、「なに馬鹿なことをやっているんだか」みたいな視点で見てほしい。




【自問自答 その1 イクラ】




A「私はイクラが好きだなぁ。」



B「私も。君はイクラのどこが好きなの。」



A「あのプチプチ感が好きだなぁ。」



B「私もあのプチプチ感は好きだよ。だけど、君の言ってるプチプチ感と私の言ってるプチプチ感は、似ているけど少し違うと思うんだ。」



A「そうかもね。私の言うプチプチ感は、軍艦巻きを一口で食べるときのプチプチ感が特に印象に残っているから、その経験に基づいているね。」



B「プチプチ感じゃよくわからないから、もっとイクラを表現してみてよ。」



A「そうだなぁ。イクラのプチプチしてはじけていく食感と、お口の中に広がるイクラの塩辛い中にも甘さの広がるような味が絶妙に共演して、その上魚介類独特のいい潮の香りが広がっていく感覚かな。イクラの宝石箱やー。(そのまんまやー。)」



B「プチプチ感よりはわかりやすくなったね。だけど結局、それも君の経験に基づいているから、全て理解することは不可能だなぁ。」



A「確かにそうだね。言葉を使う以上、脳内で考えたことをそっくりそのまま君に伝えることは出来ないからなぁ。お互いに分かり合えたとしても、99,999999999…%までなんだろうな。」



B「数学的に言うとそれは、理論上では100%なんだけどね。だけど、お互いを完全に分かり合えないってことは、言えると思うよ。」



A「これは面白いね。99,999999999…%=100%と定義づけてしまうのは、人間の現実世界ではそうならざるを得ない。もしくは100%ということは、それ自体、架空のことなのかも知れないな。」




・・・とまあ、このようにとりとめのないことをいつも考えている。


(私にとっては、だが)真剣な考え事も、もちろんする。でもたいていの場合、難しそうな顔をして何も考えてないのである・・・。orz




Vol.21 年頭所感

あけましておめでとうございます。


去年は、大晦日から元日にかけてディズニーシーに行き、2日に横浜まででかけたので、楽しくも慌しく過ぎていきましたが、今年は、静かに自宅で新年を迎えることができました。


「一年の計は元旦にあり」と言うそうです。大晦日ではなく、元日なのはなぜなのかわかりませんが、去年に限らずこれまでの私の身の振り方を省みてみることにします。私はこのブログとは別に、手書きの日記をつけているのですが、その日記に「年頭所感」を書いたので、それを引用します。



「年頭所感」


私はいつまでたっても弱いなぁ。弱い弱い。自分の弱みを握られることが一番こわいんだ。常にナンバーツーで、絶対安全が条件できれいな仕事だけを選んでやり、弱みに付け込まれまいと必死になって生きてきた。


人に弱みを握られる前に、人の悪いところをあら探し。見つけては優越感に浸る。いい人だと言われて、謙遜しておきながらもすぐにいい気分になっている。きっとそれが言われたいからいい人を演じているんだろう。そうして中途半端ないい人を演じているうちに、いつのまにか人を心から感謝する気持ちを忘れていた。すごい人だ、出来た人だと言われてすぐに満足する。



だから自分の長所を見失った。自分を磨くことも真剣にしなくなった。自分の趣味さえわからなくなってきた。



好きなように生きればいいのに、周りの評価ばかりを気にして、いつも自分のことをどう思っているのか人に聞いてしまう。




答えは同じ。「あんたはいい人だよ」「もっと自信を持ちなよ」




最後には孤独になって、自分が何者なのかとしきりに考えて、考えて、考え抜いて結局疲れているだけ。自分のことがわからないから、一度弱みを握られてしまうと、いつまでもくよくよくよくよ考えてしまう。どうしたらいいかわからなくなって、人が途端に信用できなくなる。


だから、気を許せない、または不慣れなところには出て行かない、いわゆる出不精になってしまったのだろう。



優越感を感じることに慣れてしまった私は、人のことを見下すようになってしまった。人のことを見下していることには、友人から指摘されるまでちっとも自覚していなかった。



一体どれだけの人に不快感を与えてきたことか。



こんな私が今までやってこれたのは、かなり受容的な生活を送ってきたからに他ならない。

朝起きて、あるいは起こされて、作ってもらったご飯を食べる。学校では楽しくない授業を受けて、楽しい授業もちょっと受けて、放課後はなんとなく友達とぶらぶら。
家に帰ってきて、作ってもらったご飯を食べて、文句を言いながらテレビを見て、風呂に入れといわれて入り、眠くなる前に仕方なく宿題をやり、眠くなったら寝る。・・・



これからは、独りで決定したり行動したりしなければならないことが多くあるだろう。

今までは、「生きてきた」のではないのかもしれない。
「生きてこられた」のだ。


私は独りで生きていくために、変わらなくてはならない。
しかし、変わらなくてはいけないのは当たり前だが自分自身なのである。





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