D's 2007年02月
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Davis Love

Author:Davis Love
筆者は茨城県在住大学三年生。
絶賛ぐだぐだ生活実施中。



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Vol.33 地球温暖化という「環境問題」 Part 2

私たちは、地球温暖化に関する様々な報道の中に、最も重要な情報が埋没してしまっていることに気がついていない。



実は、地球温暖化という現象が、「環境問題」として認知されて然るべきなのかという議論は、未だに終結していないのである。
地球温暖化はなぜ起こっているのか。
この疑問に対して、「答えは簡単!大気中のCO2濃度が増加することによって、温室効果が促進されて、徐々に地球の温度が上がっていくんでしょ。」と考えた方。あなたは、すでに情報操作の波に飲み込まれているかもしれない。


全ての環境問題を考えるときに共通して考慮しなければならないのは、その環境問題の原因を一元的に考えてはならないということだ。
私たちがよく耳にするのは、大気中のCO2濃度の上昇である。これは、人間が直接地球温暖化に関与しているとする「温暖化人為説」の中で提唱されている説である。だが、
地球温暖化の原因は、CO
2だけではない!
ということをまず申し上げておきたい。



CH4、N2O、フロン類なども、地球温暖化の原因となる温室効果ガスに指定されている。
しかし驚いてはならないのは、H2O(水蒸気)が大気中の温室効果ガスの90%以上を占めているということである。
CO2の濃度がどんなに増えたとしても、地球温暖化への寄与度を考えたとき、その限界値は多寡が知れている。
よって、巷で流れている噂のように、「CO2の濃度が上昇していくと共に、地球の温度が際限なくうなぎ登りに上昇する」なんてことは絶対にありえない。

まとめると、「地球温暖化の原因」のひとつに「温室効果ガス濃度増加」があり、「温室効果ガス濃度増加の原因」のひとつに「CO2濃度増加」があるということである。




地球温暖化の原因は「温暖化人為説」だけではない。人為説があれば、非人為説もある。
現在、考えうる原因だけでも、太陽活動、地球の長期的な気候周期が有力視されている。
だが、これらは我々の力ではどうすることもできない。
CO2の排出は食い止めることができるが、太陽から放出される膨大な熱エネルギーが地球に到達するのを遮ることは、現状では不可能だ。それに、地球の活動を内側から制御することもできない。
まさに、行く末は神のみぞ知ることなのである。


こうなってくると、いよいよ地球温暖化を完全に防ぐのは難しく思えてくる。


悲しい話だが、京都議定書の内容を世界各国が遵守したと仮定しても、地球の温暖化の進行を十年ほど遅らせることしかできない。
工業立国のアメリカや日本、それにEU諸国は、1990年のCO2排出量から6~8%減少するように定められたが、EUが着実に履行しているのに対し、日本は減少させるどころかまだ上昇し続けている。
そしてアメリカは、賢くも議定書から離脱した。日本のメディアの間には、アメリカの離脱は自国の経済を失速させまいとする、ブッシュ大統領のエゴだと批判する声が高らかに飛び交うが、それはアメリカ国内の事情を知らない稚拙な意見としか言いようがない。



もちろん、自国の経済活動を失速させてはならないという意見は多数ある。
だがアメリカ国内では、地球温暖化を防止するために、議定書を批准するべきだとする多数派の研究者と、CO2排出の規制をしたところでさほど効果がないから批准するべきではないとする少数派の研究者が対立しており、議論はますます過熱しているという現状があるのだ。だから、ホワイトハウスは未だに議定書を批准せずにいる。

一方、日本国内では、国民はおろかメディアも研究者も政府でさえも、みんな「温暖化人為説」に染まりきって、議論をしようとしない。
あるいは、議論するだけ無駄だから、「国際協力」しようというお決まりのパターンで、国会でも「温暖化人為説」の真偽に関する議論は取り上げられることがない。
これでは、国民の温暖化に対する関心が低いのは当然である。






頭の中が混乱している方のために、まとめておくと、


【地球温暖化の原因】
○温室効果ガスの増加
・CO2
・CH4
・N2O
・フロン類
・その他多数
※現存物質として、90%を占めるH2O(水蒸気)

○地球の長期的な気候周期
○太陽活動



Part 3へ続きます。


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Vol.32 くだらない

自分にとって興味がない話は、全てくだらんわいと思っているデービスです。
テレビを見ていて、特にワイドショーで取り上げられる話題は、ほぼそう感じます。



【例1】
リポーター:東国原知事が2人の女性をマンションに泊めたという一連の騒動をどう思いますか。


県民のおばさん:あらやだ。また女性問題?も~やめてほしいわね。やっぱりそのまんまは女には弱いのねぇ。


県民のおじさん:まあ、彼も独身だしいいんじゃないですか。恋人がいたっておかしくありませんよ。



Davis:く  だ  ら  ん


○騒動だ騒動だといっているが、勝手に騒いでいるのはお前らワイドショーの編集部なのであり、それを棚に上げ「一連の騒動」と呼称し、さも衝撃的なスキャンダルように面白おかしく報道し、必死に視聴率をとってるだけだろ
全然この話に重要性を感じないのは私だけか。ワイドショーだからいいのか。こんなん、ニュースにもならんわい
○それから、リポーターの話をうのみにしたおばさん。あなた、浅はか過ぎるよ
先入観の塊のような人にいってもムダなんだろうけどさ


kudaranai
まさにこんな感じ



【例2】
リポーター:叶姉妹のマネジャーを務め、恭子の実妹でもある二女、小山晴栄さんが宝石類など4億円相当を持ち逃げしたとされる一連の騒動をどう思いますか。


市民のおばさん:叶姉妹なんだから、4億円ぐらい持ち出したっていいんじゃないの。どうせいっぱい金持ってんでしょ。


市民のおにいさん:金に関する骨肉の争いは本当に醜いですね。そのくらい、法廷を巻き込んでまでケンカなんてせずに、話し合いで解決すればいいのにと思いますよ。



Davis:く   だ   ら   ん


○騒動だ騒動だといっていってるg(ry
○それから、論点が本末転倒しちゃってるおばさん。あんた、浅はかすぎるよ
先入観の塊のようn(ry




【まとめ】
あぁ、
・・・こんなこと書いてる自分もくだらないんだよね

orz



Vol.31 スーツ・ジャケットの着方

今日は5時間以上カラオケをしていたので、さすがに疲れました。
カラオケって大人数で行くものではないですね。
でもまあ、今日は楽しかったからいいのです。


「雀荘WAKAMORI」期待してるよーん。


--------------------


最近まで、スーツやジャケットの着方について知らない部分があり、危うく恥をかくところでした。


twotomedasu


twotomeire


one


【問題】2つボタンスーツの着用法について、上の3つの写真のうち、最も改まった着用法はどれか。
ただし、上の写真は順に次のような着用法を示しています。

①ボタンは2つとも留め、ポケットのフラップは出しておく
②ボタンは2つとも留め、ポケットのフラップは入れておく
③ボタンは1つだけ留め、ポケットのフラップは入れておく


正解は、③です。
私は今まで①が最も改まった着方だと思っていました・・・

スーツのポケットについているフラップは、本来ポケットの中身が雨にぬれないためのものです。
だから、外出するときは出しておき、室内にいるときや改まった場ではしまっておくのがよいのです。

ボタンは、一番下のボタンを外すのが普通なので、2つボタンスーツの場合は、上の1つだけ留めておけばよいことになります。3つボタンスーツの場合は、上の2つだけをつけておきます。
ただし、いわゆるおしゃれ着をする場合はこの限りではありません。

見ている人は見ています。
男性諸君、スーツやジャケット着用の際は気をつけましょう。


・・・って、
知らなかったのは私だけっていうオチになりそう・・・。

もしそうだったら悲しいよね、うん悲しい



Vol.30 AB型気質

ikurachan


私は理系の人間だからということもあり、科学的根拠のない話については否定的になります。
たとえば、血液型と性格は必ずしも一致しないと信じています。

「AB型」http://c.mixi.jp/ab

↑でも、ここを見て、意外とAB型の人は共通する性格を持つことがあるかもしれんわいと感じました。

平たく言えば、私の性格は「変人」です。

第一印象はたいてい「真面目くん」です。
第二印象は必ず「掃除好き」です。
でも最終的に「変人」と結論付けられます。

間違っても天才肌とは言われません。というか、言われたことがありませんね。


私の性格を簡潔に述べるとするならば、

①寂しがりやのくせに一人でいるのが好き、自分が大好き
②友人付き合いは基本的に狭く深く
③同調しない、逆にすぐ人に同調する人間を蔑む
④集団行動しても自分だけ別のことをしていたり考えたりする
⑤買い物、食事、カフェ、映画は一人でも平気
⑥仲間たちが仲良く騒いでいるのをニコニコして見ているのが好き
変人扱いされても気にしない、なぜなら自分が一番素敵だから
⑧ほめられるとすぐ否定するが、実はほめられるとものすごく嬉しい
⑨気を遣うのはごめんだ
⑩飲み会は面子が気に入らなければ平気で断る


・・・
ごめんなさい今まで調子に乗ってました



Vol.29 メガネ

私もついにメガネのお世話になるときがやってきました


急激に視力低下に見舞われのは、去年の秋ごろからだったなぁ。あの頃は、必死で勉強してたし、本も読んでいたし、テレビも見ていたし、ゲームもしてたし・・・
まぁ、目に優しくない生活を送っていたわけで、目が悪くなって当然なのですね。
でも、今まで裸眼で生き延びてきた本人にとっては、要メガネ宣告が結構ショックだったりするわけですー。


【弐萬圓堂にて】
Clerk「ちょっと視力検査させていただきますねー」
「はい、では、おでこをここにつけてください。この字が見えますかー?見えたら左から読んでみてください」
Davis「わかりません」
Clerk「はい、ではこれは?」
Davis「えーと、一番左は分かりません。左から2番目からは『ひ』『く』『つ』ですか?」

偶然だよな うん、偶然だよ

Clerk「正解です!」

クイズか!(タカアンドトシ風に)

Clerk「では、これは?」
Davis「わかりません」
Clerk「はい、視力は0,2ですね!」


【まとめ】
中学1年生4月時点の視力→1,0(A)
高校3年生4月時点の視力→1,0(A)
現在の視力→0,2(D)


orz



megane
メガネはこんなのね



Vol.28 孤独からの独立

人は独りでは生きていけない
独りではさびしいから


逆にその寂しさを癒してくれる仲間がいれば
どこまでも歩いていけるということなのだ


私はそう信じている


しかし結局人は孤独から逃げることができない
そして絶え間なく訪れる孤独を癒すために
次々に他人と交わろうとする


たとえ裏切られることが分かっていても
人は孤独には勝てない
差し伸べられた手には必死にしがみつくしかない


だから人はいつも不安なのだ


いつか差し伸べられる手もなくなり
本当の孤独が訪れることを
最も恐れている


だが人はいつまでも一方的に
孤独という恐怖に怯えているわけにはいかない



我々は孤独から独立せねばならぬ



Vol.27 地球温暖化という「環境問題」 Part 1

地球温暖化は、今や京都議定書をはじめとした公的な取り決めによって世界的に周知されている環境問題である。
今年の主要国首脳会議(サミット)がドイツのハイリゲンダムで開催されるが、地球温暖化をはじめとする環境問題が主要な議題に上るようだ。



IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によると、2100年までに地球の海面は9~88cm上昇するという。9~88cmと大きな開きがあるのは、いくつものシナリオを想定した上での誤差だ。
地球温暖化によって予想される影響は海水面の上昇だけでない。ハリケーンや台風の増加、干ばつ、砂漠化、凶作、豪雨・・・。テレビや新聞で取り上げられているのは、どれも恐ろしいものばかりである。


しかし、地球温暖化が進行していることは明白なのに、意外と政府や国民が大変そうな顔をしていないのは何故だろう?実感がわかないというのももちろんある。それに、自分が生きている時代に人類が滅亡することは、まずないと言っていいし。
ここで、多少、というかかなりひねくれた性格の持ち主である私は、地球温暖化問題の裏側には、公にはできないような「何か」が隠されていると考えるのである。



北極の氷が解けると、そこに生息する生物が絶滅する。広大なサヴァナが砂漠化すると、多くの野生生物の生息地域が狭まる。本来熱帯に生息していた生物が、温帯に進出して生態系を損ねる。・・・
だが、酷な言い方だが、たとえ人間以外の生物が死に絶えるとしても、特に人間に対して影響を与えるようなことがなければ、痛くもかゆくもない。だいいち、なぜ地球温暖化が騒がれるのかというと、地球の未来が危ないのではなく、人類の文明が危ないからである。
だから、「地球を救おう」などと言っている環境保護団体は、「人類を救おう」と言い換えなければならない。



よくある環境保護団体の理念には、「人間には生きながらにして生存の権利が与えられているが、自然界の全ての生き物に対しても、同様に生存の権利が与えられるべきである。」とある。
私は、バッカじゃないかと思う。そんなことを言ったら、人間は何も食べられなくなる。
それでも、ある人は「人間が必要最小限の生活を送る上で脅威となる生物だけを排除して、他の生物はなるべく保護しよう」という。とても理想的でかっこいい思想だと思う。
が、私に言わせれば、それは単なるエゴだ。
で、そう主張する人に限って、必要最小限とは、魚介類や牛肉が普通に食べられる生活が保障され、自動車を乗りまわし、暑い日はクーラーで涼んで寒い日にはストーブを使おうと思っている。
それは必要最小限とは言わない。




そもそも人類が「自然保護」なる思想を生んだのは、ちょうど第二次世界大戦も終わる頃、20世紀の半ばからだ。それまで、人類の力に比べて自然の力は極めて強大であり、自然を制御し、保護できるなどとは考えもしなかった。いや、考える必要がなかったのである。人類は自然から生まれ、自然に依存して生きてきたわけだから、現在でも単なる生態系の一員だ。


そして近年、人類の科学技術能力は、ついに地上の自然を完全に破壊しつくせるほどの力を得てしまった。
我々は決して自然を制御できるようになったわけではない。地震の予知、台風の進路予測、天気予報など、自然を分析することはできても、自然を内側から完全に制御することなどは絶対にできない。
しかし、思想は何時でも過激派を生み出す。「自然を保護するのは単に人間のためでなく、自然そのものに価値があるからだ。したがって人間は自然を保護するべきである」と、思い上がりもいいところの人たちが現れたというわけである。



自然を保護するのは、自然のためではなく人類が生き延びるためにはそうせざるを得ないからに決まっている。
我々は人間だ。だから人間はとりあえず特別な存在で、環境問題を考えるときには人間を第一に考えなければ仕方がない。所詮、人間は人間中心主義から脱却することなど、出来はしない。
自然物にも生存権があると考えているのは、結局人間の脳であって、自然物はそんなことは考えていない。



話が長くなりそうなので、Part 2に続きます。



Vol.26 ところ変わればマナーも変わる

マナーとはすなわち行儀、作法であり、人がそうであるべき模範を示すものと言える。
だから、人々はマナーを守るのであり、そこから逸している人はレベルが低いだとか、常識知らずだというのである。


だが、ご存知のようにマナーは国によっても違うし、日本国内においても特定の地域にしか存在しないものもある。
そもそもマナーというものは、必要だから存在するのであって、その地域の人々の共通の了解または価値観が厳格化し、それが日常の立ち居振る舞いに反映されたものであるから、ところ変わればマナーも変わるというのは、考えてみれば至極当然のことである。


異文化のマナーには、自分が信じているマナーにないものが含まれていて、それはたいていあってもムダだと思われるものばかりだ。したがって、異文化のマナーを奇異に感じる、または衝撃を受けるという、いわゆるカルチャーショックを体験するときは、異文化に対して畏敬の念を抱いたり感銘を受けたりする場合よりも、「え、なんでこんなことしなきゃいけないの?」「ばかげた規則だ」などと、異文化を蔑んでしまう場合が多い。



また、このように異文化を奇異に感じてしまうのは、自分の地域や国の文化が世界で一番正しい、つまり世界標準であると思いこむ心理が働いているからでもある。それは無意識によるところが大きい。
もちろん我々は、欧米ではパスタをすすって食べてはならぬ、ということは知っている。しかし、カップヌードルでさえもズルズルとすすって食べてはいけない、ということはあまり知らない。いわんや、その上フォークに巻きつけて食べなければならない、ということも。



「まぁ、音を立てて食べるのは、なんとなく他の文化圏の人々から見たらおかしいと思うかも知れないね。でも、カップヌードルくらいは別にいいんじゃないか。ましてそれをパスタのようにクルクル巻き取るなど、時間と労力のムダとしかいいようがない」


要するに、異文化については、理解できるところまでは理解できるが、理解できない領域になってくると、いよいよ相手の文化がおかしく思えてくるのである。
こういうのを、自民族中心主義(ethnocentrism)というらしい。


 


ま、論より実行だ。クイズを出題。



【Question No.1】
今、あなたは公衆の面前にいるとします。次の①~④のうちから、マナー違反でないものをひとつ選びなさい。


①座ぶとんに座ったまま、頭を下げて来訪の挨拶をする。(日本)
②ジュースの入ったペットボトルに口をつけて飲む。(フランス)
③タバコを口にくわえたまま、相手が点火したライターから直接火をいただく。(中国)
④異性の部屋に入るときは、特に親しくない限りドアを開けたままにしておく。(アメリカ)


 


これは簡単だっただろう。正解は④である。これは、マナー違反ではなくマナーそのもの。
欧米の人々はどうも性に関してオープンであるというイメージがある。欧米に出かけた日本人は、セックス開放についての先進地にやってきたように思い、日本でやっているよりも、もっと伸び伸びと開放的に行動しようとする。で、ガツンと、やられる。



欧米に行くと、日本で考えられないカットなしのポルノ映画を、堂々と映画館でやっている。が、実際にポルノ映画館に入ってみると、欧米人はフーフー言いながら見ている。で、日本人は、ケロリと見ているそうだ。
また、ホテルに来た男性客が、従業員である女性にトイレの位置を尋ねただけで、その女性は侮辱されたと思ったり、顔を赤らめたりする。
さらに、異性の前では、うっかり靴も脱げない。どうしでも目の前で脱がなければならないときは、うしろを向いて脱ぐ。


こういった、日本では中学生レベルともいえるような、欧米人の性に対する過剰意識は、我々はあまり知らない。あるいは、その逆だと思っている。
つまり、人前でキスすることは愛のかたちなので、実にほほえましい光景だが、性公開やフリー・セックスは、彼らの世界でも思い切った行為なのであり、一般人はやりたくてしょうがないが、それをこっそりやっている。
そこに、日本人の大人は彼らにとって常識のないことをするから、野蛮人だとかエコノミー・アニマルだとか言われてしまうのである。


 



マナーというものは非常に厄介である。万国共通のマナーなどというものは、恐らくありえない。それは、さきほども述べたように、その地域固有の価値観を反映したものだからである。よって、例え作ってみたとしても、全ての国が固有の価値観を捨てて、一歩や二歩譲ってやらなければ成り立たない。
マナーを守ることはすなわち協調である。しかし、その協調の裏には、個人の価値観の否定という犠牲が伴っていることを忘れてはならない。


 


おまけ:おタバコを嗜まれる方は要注意。喫煙マナーのクイズ。



【Question No.2】
今、あなたは友人の晩餐会に招待されて、ホテルにいるとします。次の①~⑤のうちから、喫煙マナー違反でないものをひとつ選びなさい。


①晩餐会の会場に到着し、時間に余裕があったので、料理が運ばれる前に自席に用意してあった灰皿を使って一服した。
②デザート・コースが終了し、食後のコーヒーカップが置かれたので、まだコーヒーがつがれないうちに喫煙した。
③デザート・コース終了後に、喫煙しようとしたが、灰皿が用意されていなかったので、コーヒー皿を代用した。
④コース料理が大変美味だったので、感謝の意を表すためにデザート・コース終了後に一服した。
⑤客室に戻り、用意してあった灰皿で一服し、寝る前に灰皿の中身をくずかごに捨てて、灰皿を洗っておいた。


 


 


正解は②である。ホテルでの喫煙は、特に気をつけたい。



Vol.25 努力の天才

「頭がいい」という言葉の使い方には様々あると思うが、私はどう考えても学校の成績と頭の良さは直結しないと信じている。現に私がそうだ。
私にとって「頭がいい」とは、賢い、頭の回転が速いことである。知識が豊富な人よりも、発想の鋭さやひらめきといったものに長けている人のほうが「頭がいい」に当てはまると思うのである。


だから、クイズや学力テストなどが得意な私は、「おまえは頭がいいなぁ」とよく言われるのだが、決まって「頭がいいんじゃなくって、ムダ知識が頭に入ってるんですよ」と反論する。すると相手はたいてい怪訝そうな顔をして、「いや、頭がいいから知識が頭に入ってくるんだろ」という。
こういうとき、私はがっかりする。頭がいいから知識が頭に入ってくる?そんなわけない。


おととい覚えた数学の公式はもう忘れてる。昨日食べた夕飯のメニューがすぐに浮かんでこない。さっき読んだ新聞記事の内容はあやふや。今やろうとしたことさえ忘れてる。・・・だめだねorz確かに、頭はよくない。


だが、なぜ知識が頭に蓄積されていくのか?答えは簡単。私がものを覚えることに対して必死に努力してきたから。そう、私は今まで努力で乗り切ってきたようなものだ。


もって生まれた才能はもしかしたら未発掘かもしれないが、これといった才能が見当たらなかった私は、小学生の頃から好きだった学校の勉強に力を入れた。
幸いなことに、日本では勉強ができれば将来の進路に役立つ。勉強の努力は評定数値によって目に見える形で具体的に表されるので、それが「頭がいい」という評価につながったのかもしれない。
その反面、私は的確な状況判断や良好な人間付き合いがまったく苦手である。つまり、「賢くて世渡り上手」の人間ではない。私は良かれと思って相手のためにあれこれ考えているつもりなのだが、ほとんどお節介な気遣いや、身勝手な正義感の横行に終わってしまう。
相手に対する介入可能な領域と、絶対不可侵の領域の区別がつかない私は、これまで様々な人間関係において失敗を重ねてきた。


まあ、一言で言えば私は「うざい」存在である。


そんな私が唯一誇れるものと言えば、さきほど述べたように、勉強に努力してきたことであろう。
だが、勉強の知識が直接役立つ時期はすでに去った。勉強の知識も使わなければすぐに忘れていく。



私が勉強に努力してこれたのは、好きだったからに他ならない。そして一度面白いと思ってのめりこむと、食事も忘れて没頭してしまう癖がある。レポートや企画書を書くときも、書き始めると終わるまで徹夜も苦にならない。これも一種の才能かもしれない?いや、それはうぬぼれ。


以上から、私は頭がいいわけではないということがお分かりいただけたであろうか。
もって生まれた才能を発揮する人がいること自体は否定しない。天才は確かに存在する。しかし、生まれたときから高校生並みの能力を持っていたとしても、本人がそこから何もしなければ高校生並みのままで一生を終える。
努力によってのみ能力は向上する。「凡人は天才には勝てない」と思い込んでいる人は、きっと努力が足りていない。



努力できることも才能だ。私のように、好きなことにしか努力できないのは才能とは呼べないが、苦手なことを克服するために努力することはなかなかできないことだ。
私は、例外なく努力は天才を超え得ると信じている。努力した人が天才を超えたとき、その人は努力の天才と呼べるだろう。





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